2023年4月1日 冬が早く終わり、急に春が来た。今年は急速に桜の季節が訪れた。3月中から、桜の開花や満開の知らせが届いている。 例によって、我が家の奥さんも、お花見に行きたがっている。 近場で、日帰りで、満開の予定で、とりあえず今週と来週の行き先を決めてみた。 今週は、会津方面に。久しぶりに鶴ヶ城の天守閣に登ってみる。 |
![]() <<会津鶴ヶ城>> |
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<<若松城城址公園>> 以前に、駐車場に入ろうとする車が多すぎて、途中であきらめたことがあるため、朝早く家を出た。 朝が早かったせいか、桜の満開がイマイチのせいなのか、人出もそんなに多くない。 普段と違う、東口の駐車場に車を入れたのだが、ほとんど車がなかった。 寄り道して、お城近くのコンビニで朝食を調達し、広場に座っていただくことにした。 時間的には早いが、ちょっとしたピクニック気分。 うまい具合に日程を決めたつもりであったが、前々日に開花したばかりで、満開とはいかなかった。 場所によって桜の開き方が違っている。 日当たりのせいか、風の向きとかもあるのだろうか。 全体的に言えば、三分から五分咲きといったところかな? それでも、天気が良かったせいで、来た時と帰る時で、咲き方が違っている。 もう2-3日で、満開を迎えそうだ。 一番手前の、太い幹の桜が、会津地方の桜開花の基準木だそうだ。 | |||
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<<鶴ヶ城:天守閣>> 天守閣はリニューアル工事を行っている。 ちょうど今日から、展望台部分のみ仮オープンということで、やっと上がれるようになったところだ。 全体の完成は、何とか、大型連休に間に合わせる予定らしい。 開花が早すぎて、桜まつりはこれから。 屋台のお店は準備中。何もかもが、予定が狂って、てんてこ舞いの様子。 | |||
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<<鶴ヶ城:麟閣>> 上の写真は、天守閣から見た麟閣。下の写真は、腰掛待合。 千利休が秀吉の命で切腹したのち、千家の廃絶を防ぐため、細川家が長男の道安を豊前に、保科家が次男の少庵を会津に、 それぞれ蟄居という名目で引き取り保護した。 その後、徳川家康のとりなしで京に戻り、千家を再興した。 この少庵の孫の代で、今の表・裏・武者小路の三家が興された。 麟閣は、この少庵が、会津滞在時に建てたものだという。 | |||
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<<石部桜>> 大河ドラマ「八重の桜」のオープニングで有名になった石部桜。 当時の混雑ほどではないが、やはりそのものが美しいため、人が多く出ている。 石部桜自体は、田んぼの真ん中に立っている。 そのため、少し離れたスポーツ広場の駐車場が、この季節だけ臨時の駐車場になっている。 歩いて、15分ほど。駐車場の管理人さんが地図を渡してくれた。 こちらは、満開。 | |||
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<<磐梯山>> 久しぶりの磐梯山と猪苗代湖。 猪苗代湖畔で、磐梯山を眺めながら、お昼にする。 | |||
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<<猪苗代湖>> | |||
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<<天鏡閣>> かねてから行きたいと思っていたのだが、敷居が高くて行けなかった場所。 先日、テレビ番組で特集していたので、急に身近になった気分で訪れることにした。 天鏡閣は、明治41年(1908年)、有栖川宮威仁(たけひと)親王の別邸として建設された。 前年、威仁親王が当地を訪れ、猪苗代湖畔の風光の美しさにひかれたのだという。 翌年、皇太子(後の大正天皇)の行啓が有り「天鏡閣」と命名された。 これは李白の句の一節「明湖落天鏡」に由来している。 館から眺める猪苗代湖を天鏡と見立てたのだろうか。 (元詩では洞庭湖を天鏡とみている) 昭和54年(1979年)、重要文化財に指定。 建設当時は猪苗代湖を眺めることができたようだが、今は、周りの木々が茂って、直接湖を見ることはできない。 | |||
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<<天鏡閣内部>> 内部も、ほとんど公開されており、撮影も可能。 家具などは、洋風でいて、細部には蒔絵や螺鈿などで装飾されており、和風の趣がある。 シャンデリアや、カーテン吊り具なども、凝った拵えになっている。
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