2022年4月24日 東日本大震災から10年が過ぎ、昨年訪れる予定にしていたのだが、コロナ騒ぎで出ることができず。 一年遅れで10周年を迎えた被災地を訪れることができた。 当初の復興事業のめどが十年ということで、それぞれの地が、ある程度の復興の形を整備することができている。 ただ、各地でその態様は様々であり、いろいろの意見が出るのではないかと思う。 |
![]() <<南三陸町防災庁舎>> |
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<<女川港>> 女川駅からまっすぐの道路が延び、海岸に突き当たるところが、公園として整備された。 ここは、特に遮るものもなく、海を見ることができる。 |
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<<女川交番旧跡>> 公園の一角には、震災遺構である旧女川交番が残されている。 以降の周りを一周できるように遊歩道も整備されている。 交番は当時のままで、雑草が茂り、木には花を咲かせていた。 |
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<<女川まちなか商店街>> 海岸から、商店街を望む。突き当りが女川駅。 現在は、道の駅としても営業しており、今日は、日曜日ということもあって、朝早くからお客さんでにぎわっていた。 |
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<<大川小学校跡>>![]() |
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<<大川小学校:震災慰霊碑跡>> また、大川小学校跡に来た。駐車場もきれいに舗装され、問題の裏山にも簡単に行けるようになっていた。 初めて俯瞰して全体を見ることができる。 新しく大川震災伝承館ができ、震災前の付近の空撮写真も展示されている。 以前にも言ったが、普通の住宅街の中にある小学校であり、今のような、何もない荒れ地ではなかったのだ。 慰霊碑も新しく整備されている。 生徒たちが目指した三角地点にある慰霊碑群。 今回のものではなく、以前からこの地にあるものらしい。 |
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<<南三陸町防災庁舎>> 初めて防災庁舎の全体をゆっくりとみることができた。 かつては、街中であったこの辺も、全体が震災復興祈念公園として整備され、 すり鉢の底のような位置に、防災庁舎が残っている。 川の対岸は、さんさん商店街としていち早く開業し、今日も大勢の人でにぎわっている。 ここで、お昼を、と思っていたのだが、満員で列をなしており、早々に諦めることにした。 防災庁舎は、きれいにペンキが塗りなおされ、何か悲劇の場所という感じが和らいでいる。 震災前は、もちろんこの建物だけではなく、他に木造と鉄筋の二階建ての庁舎が二棟建っていたようだ。 二階建てでは心もとないということで、防災庁舎を建てたらしい。 人間の想像力には、限界があるものだ。 屋上のアンテナのさらに上を行く津波など想像できなかったのだろう。 |
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<<南三陸町震災復興祈念公園と商店街をつなぐ橋>> 公演と商店街の間には人が渡れる橋がかかっている。 かわった橋で、両端は地面からつながるのだが、上下に曲線を描いており、真ん中付近では二階建てになっている。 |
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<<陸前高田:震災遺構>> 市内の高台から、震災遺構(奇跡の一本松と高田ユースホステル跡)を俯瞰できる。 海岸沿いには、高さ12.5mの防潮堤ができ、新たな松原の苗が植えられている。 ここは、かつては、山だったところで、震災後、この山を切り崩して、市街地のかさ上げを行った。 切り崩された山の後に、住宅地が整備され、市民が移住してきている。 ちょうど海岸線を俯瞰してみることができる。 |
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<<陸前高田:献花台>> 献花台は海に向かって祈りがささげられる。 静寂の中、海を真正面に見ると、死者の声が聞こえてくるような気がする。 ここも、女川と同じく、湾奥にあるので、海を見ると両側の岸が海を狭めている。 津波が大きくなった理由の一つでもあるのだろう。 |
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<<陸前高田:東日本大震災津波伝承館>> 広大な海岸線の堤防の内側に巨大な施設が出来上がっていた。 公園内には、いまだに、復興工事の際に使用された、「希望の架け橋」の橋脚だけが取り残されていた。 震災によって被害を受けた海岸沿いの地域を、どのように活用するのか。 それぞれの町で、いろいろの工夫を行っている。 |
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<<陸前高田:高田松原>> 防潮堤の外側に植えられた松の苗木。 10年後、20年後の成長した松原を見てみたいものだ。 |