2022年3月17-18日 四国お遍路を再開。前回(2020年)は、第1番霊山寺から第28番大日寺まで、大部分徳島県内を走り回った。 去年(2021年)は、コロナの影響で思うような時間帯で飛行機が飛ばず、直前に断念。 今回は、ちょっと早めに3月に訪れることにした。 前回に引き続き、第29番国分寺から第45番岩屋寺まで、主に高知県を廻ることにした。 |
![]() <<竹林寺五重塔>> |
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<<国分寺(こくぶんじ):仁王門>> 四国霊場第29番札所 摩尼山国分寺。 仁王門は、土佐藩二代藩主山内忠義の寄進により、明暦元年(1655年)に建立、現在の門は昭和初期の再建。 ![]() ![]() <<国分寺:本堂>> 聖武天皇の勅願により、全国に作られた国分寺の一つ、土佐国分寺として、天平13年(741年)に僧行基により創建された。 弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地を訪れ、毘沙門天像を彫像して奥の院に安置した。 その際、本堂において、真言八祖に伝わる「星供の秘法」を修めたという。 本堂は、こけら葺・寄棟造り。長宗我部元親により永禄元年(1558年)に再建された。 本尊は、千手観世音菩薩像で、行基の作と伝わる。 <<国分寺:大師堂>> 寛永11年(1634年)建立、土佐藩10代藩主山内豊策により文化2年(1805年)再建。 一年半ぶりのお遍路、前回の続きから再開するが、お経の読み方を忘れている。 奥さんと二人で、どれを読むんだっけ?と言いあい、何とか形をつける。 宿に戻ったら、ネットで確認しよう。 |
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<<国分寺:境内と鐘楼>> 国分寺は全国各地に建てられており、四国八十八カ所にも、各県に一つづつ「国分寺」がある。 徳島:15番札所 阿波国分寺 高知:29番札所 土佐国分寺 愛媛:59番札所 伊予国分寺 香川:80番札所 讃岐国分寺 天気は晴れ。予想通り暖かい。服装の選択(スポーツシャツにセーター)は正解。 広々とした境内は、歴史を感じさせる。 |
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<<国分寺:開山堂>> 延長8年(930年)、紀貫之は国司として土佐の国衙で4年間を過ごし、「土佐日記」を著した。 土佐の国衙は、ここから北東1kmほどのところにあったらしい。 |
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<<善楽寺(ぜんらくじ):本堂と大師堂>> 四国霊場第30番札所 百々山善楽寺。 大同5年(810年)、弘法大師が当地に立ち寄り、高鴨神社(土佐国一宮で現土佐神社)の別当寺として本寺を開創した。 以降、土佐山内氏などの庇護を受けて隆盛を誇ったが、明治維新の廃仏毀釈により、廃寺となった。 昭和4年(1929年)、一宮の人々が再興したが、永らく納経場所が定まらぬという混迷の時期を経て、 平成6年(1994年)、ようやく30番札所として、認められた。 |
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<<善楽寺:本堂>> 本堂は、昭和57年(1982年)の建立。 本尊は、阿弥陀如来。 本堂の前で、石造りの不動明王が睨みをきかせている。 ![]() <<善楽寺:大師堂>> 土佐神社の参道の中ほどから脇に入ると善楽寺の境内になる。 駐車場も区別があるようなないような。 大師堂は昭和9年(1934年)の建立。 |
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<<善楽寺:手水屋の邪鬼>> 足元で、邪鬼が重い手水鉢を支えている。 となりにある小さな鉢には、宝暦3年(1753年)の銘がある。 |
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<<竹林寺(ちくりんじ):仁王門>> 四国霊場第31番札所 五台山竹林寺。 ![]() ![]() |
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<<竹林寺:本堂>> 寺のある五台山(標高146m)に上る道は、一方通行になっており、青柳橋のたもとが起点になる。 五台山の山頂にある展望台を経て、竹林寺の駐車場に至る。 広い駐車場で、隣接の植物園の駐車場も兼ねているのだが、お寺の入り口が目立たない。 なんと、古刹に似合わず、現代的な拵えの入り口が見つかった。 本堂は、寛永21年(1644年)の建立。 室町様式、こけら葺、入母屋造り。 本尊は、文殊菩薩。 秘仏で、50年ごとに開帳される。 <<竹林寺:大師堂>> 大師堂は、寛永21年(1644年)の建立。 |
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<<竹林寺:五重塔>> 昭和55年(1980年)再建、高さ31.2m、総檜造。 高知県唯一の五重塔。 |
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<<竹林寺:根桜>> 本寺は、神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願を奉じた僧行基により、唐の五台山に準えて当地に開創された。 行基自らが栴檀の木に文殊菩薩像を彫り、山上に堂宇を建てて安置したという。 その栴檀の余木を土に戻したところ、桜となって根付いたという。 この根桜は、その何代目かの子孫らしい。 後ろに見える若木が根桜。 |
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<<竹林寺:五智如来>> よさこい節で有名な、「はりまや橋で簪を買った坊さん」は、この寺の修行僧純信のことだという。 |
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<<禅師峰寺(ぜんじぶじ):仁王門>> 四国霊場第32番札所 八葉山禅師峰寺。 ![]() ![]() 仏師定明作の、鎌倉時代の金剛力士像は収蔵庫の中。 <<禅師峰寺:参道>> 一夜明けて、今日は雨模様。午前中は、かなり強く降るらしい。 納経帳を濡らさないように、カバンの奥に入れる。 聖武天皇の勅願を受けた僧行基が、土佐沖の海上通行の安全を願って、堂宇を建てたのが起源とされる。 その後、大同2年(807年)に弘法大師が巡錫の途中で当地に滞在し、 虚空蔵求聞持法の護摩を修法、十一面観世音菩薩を刻んで本尊として安置した。 境内からは、桂浜など土佐湾一帯を眼下にすることがっできる。 <<禅師峰寺:峰寺不動明王>> |
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<<禅師峰寺:本堂>> 本尊は、十一面観世音菩薩。 |
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<<禅師峰寺:大師堂>> |
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<<雪蹊寺(せっけいじ)>> 四国霊場第33番札所 高福山雪蹊寺。 禅師峰寺から浦戸湾の対岸に渡る。 昔は渡し船で渡ったそうだが、今は浦戸大橋経由となる。 雨がますます激しくなってくる。 カメラが濡れるため、傘をさしながらだと、両手が自由にならず、アングルにこだわることができない。 <<雪蹊寺:本堂>> 本堂は、平成16年(2004年)の改築。 本尊は、薬師如来。(運慶作と言われる) 延暦年間(782-806)、弘法大師の開基で、創建時は少林山高福寺と称した。 鎌倉時代に、運慶及びその長男の湛慶が当寺に滞在し、多くの仏像を残した。その由縁で慶運寺と改称した。 その後、寺は衰退したが、天正年間(1573-1593)の後期、戦国大名長宗我部元親により再興される。 その際、元親の宗派である臨済宗に改宗している。 また、元親の没後、長宗我部氏の菩提寺となり、寺名も元親の法号をとって雪蹊寺とした。 四国八十八カ所の内、臨済宗のお寺は、当寺と、11番札所藤井寺の二寺のみである。 江戸時代の初期には、住職であった天質和尚が、朱子学南学派の祖として活躍。 数多くの優れた儒学者を送り出し「南学発祥の道場」といわれる。 <<雪蹊寺:大師堂>> 大師堂は、明治43年(1910年)建立。 |
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<<種間寺(たねまじ)>> 四国霊場第34番札所 本尾山種間寺。 用明天皇(在位585-587)の時代、百済の仏師や造寺工が渡来して、大阪・四天王寺の造営にあたった。 ようやく落慶し、帰途の航海中に、土佐沖で暴風雨にあい、当寺に近い秋山の港に難を逃れた。 彼らは、航海の安全を願って、薬師如来を彫し、本尾山の山頂に安置した。 弘仁年間(810-824)に、弘法大師が当地を訪れ、堂宇を建立し、その薬師如来を本尊として祀った。 その際に、唐から持ち帰った五穀を境内に撒いたことが、寺名の由来とされる。 <<種間寺:境内>> 雨はなかなか収まらず。 椿が満開。 写真にも雨が写りこんでいる。 |
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<<種間寺:本堂>> 本尊は、薬師如来。 |
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<<種間寺:大師堂>> |
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<<種間寺:大師堂軒先>> |