2020年9月18日
 本日のお宿は、6番札所安楽寺の宿坊。 温泉山というだけあって、温泉付きの宿坊である。 そんなわけで、回る順番は、6番札所が最後になるのだが、整理の都合上、番号順で行くことにする。

熊谷寺
<<熊谷寺>>

安楽寺

安楽寺

安楽寺

<<安楽寺(あんらくじ):仁王門>>
四国霊場第6番札所 温泉山安楽寺。
竜宮城に来たみたいな、なかなかお目にかかれない門。 下層が漆喰を塗り固めたアーチ型の門。その名も、竜宮門というらしい。 他のお寺とは違う、どこか中華風を思わせる雰囲気である。

門の左右にある切妻造りの建物に仁王様がいる。
安楽寺 安楽寺


<<安楽寺:池>>
心字池というらしい。



<<安楽寺:本堂>>
本堂の前には、神社でいう拝殿のような、金剛宝拝殿という建物がある。 もちろん、本殿に入れないという訳ではない。ちゃんと、本堂に入って、ご本尊を拝むこともできる。

そんなわけで、なかなか本堂の全体像を撮ることができない。
安楽寺
安楽寺

安楽寺

安楽寺

<<安楽寺:大師堂>>
弘仁6年(815年)に、弘法大師が堂宇を建立し薬師如来を刻んで本尊としたという。 その後、天正年間(1573年-1592年)に長宗我部元親の兵火により焼失し荒廃したが、 万治年間(1658年-1661年)に現在地にあった寺を併合して再建した。

昭和37年(1962年)のこと、愛知県の水谷しづさん(当時49歳)は、難病にかかり床についていた。 当時の住職が、四国遍路をすすめ、夫婦二人は遍路の旅を決行した。 ところが不思議にも巡礼の途中に、しづさんの難病が快癒した。 現在の本尊薬師如来像は、その報恩のために奉納されたものである。 元々の本尊は、胎内仏として祀られている。


<<安楽寺:多宝塔>>
宿坊に泊まると、お勤めに出ることができる。 夕食前の5時半から、本堂に集まり、お経を聞いた後、ご本尊を始め、数多くの仏像を拝むことができた。 多くは、慶派の流れをくむ松本明慶師が無名のころから手掛けられたものだという。

どれも素晴らしい出来映えで、どれほど見ていても飽きることがない。 でも、このあと夕食が待っていた。

温泉山というほど温泉が名物で大浴場もあるのだが、新型コロナウィルスの影響で、 宿泊客も少なく、二つある浴槽のうちの一つが閉鎖されていた。


<<安楽寺の朝>>
宿坊の窓から見た景色。 昨日の雲がまだ少し残っていたが、この日は快晴の一日であった。

十楽寺
<<十楽寺(じゅうらくじ):鐘楼門>>
四国霊場第7番札所 光明山十楽寺。

引き続いての竜宮門。 上層が鐘楼になっている。下から覗くと、梵字をかたどった天井画が見える。

大同年間(806年-810年)、弘法大師がこの地に逗留された時に、阿弥陀如来を感得し、如来像を刻んで本尊としたと伝わる。 その後、天正10年(1528年)、兵火ですべての堂塔が焼失したが、寛永12年(1635年)に再建された。

本尊は阿弥陀如来。

十楽寺
<<十楽寺:中門>>
鐘楼門をくぐって参道を進み、石段を上ると、再び竜宮門がある。

ここの上層には、愛染明王像が祀られている。

十楽寺

<<十楽寺:境内>>
十楽寺
=波切不動尊=
十楽寺
=本尊写し仏=
十楽寺
<<十楽寺:本堂>>
平成6年(1994年)の新築。

十楽寺の門前には、有名なたらいうどんのお店があるのだが、閉まっていた。 時間的には、お昼に近く、開いていないといけない時間なのに・・。 コロナ騒動でお客さんが入らなくなったんだろうか。

十楽寺

<<十楽寺:大師堂>>
本堂の脇の石段を上がり、大師堂の前に出る。

巡礼は、本堂と、大師堂で、お経をあげる。 ロウソクもお線香も納経札も、回るお寺の倍の数が必要になる。

熊谷寺
<<熊谷寺(くまだにじ):中門>>
四国霊場第8番札所 普明山熊谷寺。

慶安2年(1649年)の建立。多聞天・増長天の祀られた二天門である。 仁王門は、駐車場から100mほど下ったところにあるらしく、写真に収めることはできなかった。 駐車場が本堂の近くにあるのも、考え物だなと思う。

熊谷寺

<<熊谷寺:多宝塔>>
安永3年(1774年)の建立。

日帰り温泉の休憩施設でお昼を食べ、いざ、午後の部へ。 今回は、お昼にあまり凝らなかった。道の駅が多かったカナ。

熊谷寺
<<熊谷寺:本堂>>
昭和46年(1971年)の再建。

弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地で修行をされていた折、 紀州の熊野権現が現れ、お告げと、5.5pほどの金の観世音菩薩像を授けられた。 大師はその場にお堂を建て、自ら等身大の千手観音像を刻し、胎内に尊像を納めて本尊にされたという。

しかし、昭和2年(1927年)の火災により、本堂とともにご本尊も消失した。 現在の本堂は、その後の再建になり、その際に本尊も新造された。

熊谷寺
<<熊谷寺:大師堂>>
宝永4年(1707年)の建立。

本堂脇の石段を40段ほど上ると大師堂がある。 山際に敷地を求めていると、境内に段差ができる。 大師堂は、本堂と向かい合うか、脇にあることが多い。

熊谷寺

<<熊谷寺:境内>>
大師堂から。

法輪寺
<<法輪寺(ほうりんじ):仁王門>>
四国霊場第9番札所 正覚山法輪寺。

山際から少し外れると、平坦な境内になる。 歳をとった身にはありがたい。 門前の駐車場に車を停める。ここでよかったんだろうか?

法輪寺

<<法輪寺:本堂と大師堂>>
本堂と大師堂が、弘法大師像を挟んで並んでいる。左側が本堂、右側が大師堂。

法輪寺
<<法輪寺:本堂>>
弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地を巡教していたとき、白蛇を見つけた。 白蛇は仏の使いといわれていることから、釈迦の涅槃像を刻んで本尊として寺を開基したという。

戦国時代に兵火により焼失するも、正保年間(1644年-1648年)に再興、その後安政6年(1859年)に失火にて再び焼失。 現在の堂宇は、明治以降の再建になる。

本尊は涅槃釈迦如来。
残念ながら、拝観することはできず。

法輪寺
<<法輪寺:大師堂>>


法輪寺

<<法輪寺:境内>>
植生にときどきおやっと思わせるものがある。 やっぱり、南の国に来ていると感じさせるものがある。

切幡寺
<<切幡寺(きりはたじ):仁王門>>
四国霊場第10番札所 得度山切幡寺。

切幡寺は、1日目の最難関。 車が軒先をこするような狭い道や、切り返しが必要なカーブなどと、調べれば調べるほど、怖い言葉が並んでいる。 歩いていくと、300段以上の石段が待ち受ける。 やっぱり、頂上まで車で行くしかないな。

仁王門は石段の下。結果的には、帰りに寄ることになった。

切幡寺


切幡寺
<<切幡寺:参道>>
来るまでの参道はこんな感じ。 ひたすらに対抗車が来ないことを祈りながら、上っていく。 石段の始まりのところでは、本当に180度曲がるようなカーブもあった。







<<切幡寺:本堂と大師堂>>
この地で修業中だった弘法大師は、綻びた僧衣を繕うために機織りの娘に継布を求めた。 娘は、織りかけの布を惜しげもなく差し出した。 大師はこれに感動し、娘の願いを尋ねると、父母の供養のために観音様をつくり、自身も出家したいと言う。

大師は、さっそく千手観音像を刻し、娘を得度させて灌頂を授けた。娘はたちまち即身成仏し、千手観音の姿になった。 大師はこの話を嵯峨天皇に伝え、勅願によって堂宇を建立し、自ら彫った像と即身成仏した千手観音像を本尊にしたという。

本堂の本尊は、かつて大塔の本尊であった大日如来、本堂の奥には秘仏千手観音菩薩が祀られている。

切幡寺
<<切幡寺:大塔>>
珍しい二重の塔。多宝塔でなく、初層も二層も方形の形式の塔は、この塔しか現存していない。

慶長12年(1607年)、豊臣秀頼は住吉大社神宮寺の再興時に東西二塔を建立した。 明治初年の廃仏毀釈により神宮寺が廃寺となった際に、そのうちの西塔を買い受け、 明治6年(1874年)から明治15年(1883年)にかけてこの地に移築したものである。

切幡寺

<<切幡寺:境内>>
来る道は厳しいのだが、遍路の参拝者が絶えることがない。 どこにいっても、誰かがいる。でも、心強い。