2020年2月1日 温泉に行きたくなって、いろいろのサイトで格安なホテルを探していたら、直近で格安のホテルを見つけてしまった。 奥さんの了解も取り付けて、ホテル優先で行く先を探すことにした。 長野には、何回も訪れているのだが、改めて調べてみると、まだまだ見所がたくさん残っている。 冬場ということもあり、雪の心配もあるのだが、充分に余裕のある日程を組んだ。 |
![]() <<上杉謙信・武田信玄一騎打ちの像>> |
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<<川中島古戦場史跡公園:甲越直戦地の碑>> 永禄4年(1561年)の第四次川中島決戦のあと、武田軍の高坂弾正(海津城将)が、 戦場に残された数千の遺体を、敵味方なく集めて弔い、塚を作った。 明治になって、その塚に陸軍少将福島安正筆の甲越直戦地の碑が建てられた。 余談として、この高坂の行動に感激した謙信が「争うべきは弓箭にあり、米塩にあらず」といって、 武田に塩を送るきっかけの一つになったという。 <<川中島古戦場史跡公園:八幡社>> 八幡社。御祭神は誉田別命(ほんだわけ)と建御名方命(たけみなかた)。 創建は平安時代中期と伝えられる。 左側にある小さな社が旧本殿。その脇に欅の古木。位置から見てこれがご神木らしい。 右側にあるのが現在の本殿。上田市の生島足島神社の旧社殿を移築したものだという。 |
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<<川中島古戦場史跡公園:謙信信玄一騎打ちの像>> 八幡社の隣にある、有名な像。川中島の決戦というと、この像が出てくるほど。 武田軍の本陣に攻め込んだ謙信の太刀を、信玄が軍配で受け止めたシーンを再現している。 昭和44年(1969年)の製作。 |
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<<川中島古戦場史跡公園>> この地は、昭和44年(1969年)のNHK大河ドラマ「天と地と」の放映に合わせて、 第四次川中島決戦の際に武田軍が勝鬨を挙げたとされる八幡社一帯に、 周辺に散在していた石碑を移設し、一騎打ちの像などを建て、川中島古戦場史跡公園として整備したものである。 池あり、丘あり、ステージあり。休みの日には屋台も並ぶという。 残念ながら、寒風吹きすさぶ真冬の一日であれば、人影も少なく、緑も少なく、静かなものであった。 |
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遠くの山には、今朝方降った雪が、薄く積もっている。 |
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<<川中島古戦場史跡公園:佐久間象山像>> 佐久間象山は、信州松代藩士。 この地の出身である。 |
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<<国民宿舎松代荘>> 今日のホテルは、温泉とは言いつつ、加熱加水ということで、真の松代温泉を経験するため、 国民宿舎松代荘の日帰り温泉に立ち寄ることにした。 現在、同荘は改修中であるため、一部施設は使用できないが、温泉だけは営業中であった。 |
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<<国民宿舎松代荘:殿湯>> 浴室内は撮影できないため、ホームページから借用。 温泉に含まれる物質は日本でも有数の量を誇る。 鉄分、炭酸ガス、カルシウム、塩分を含む。 源泉は無色であるが、鉄分を含むため、空気に触れると黄白色に濁り、見た目はまさに黄金の湯となる。 源泉の湯温は約45度。湯舟は適温になる。含有物が多いため長湯は不可。 |
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<<真田宝物館>> 松代城跡の周辺には、旧松代藩に関係する建物や史跡などが集められ、公園として整備されている。 城跡近くの市営駐車場に車を停め、一帯の散策に出る。 その前に、お昼をとる。 旧松代藩は、真田幸村の兄である真田信之が、上田からこの地に移封されて藩祖となり、以降、明治まで続いた。 真田宝物館には、真田家重代の宝物が収められている。また、真田家の歴史を物語る展示もある。 |
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<<恩田木工像>> 恩田木工(1717-1762)は松代藩家老。 宝暦年間に、財政危機に陥っていた藩財政の改革を任された。 質素倹約を励行し、綱紀粛正に取り組み、農地の新規開拓や殖産興業にも力を入れた。 また、藩校文学館を創設した。 池波正太郎の著作に「真田騒動―恩田木工」という短編がある。 |
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<<真田邸-新御殿>> 江戸時代末期、幕府による参勤交代制度の緩和に伴い、藩主の妻子の帰国が許されることとなった。 時の9代藩主真田幸教が、義母貞松院の住居としてこの屋敷を建て、その後自身の隠居所として使用した。 感覚的に考えると、江戸時代とは言いつつも末期で、むしろ明治といった感じがするが、 そんな時代であっても、やはり大名の隠居所であれば、これだけの豪勢な屋敷になるものかと思う。 屋敷内は、表と奥に明確に区分けされ、奥は畳廊下になっている。 台所などの奥向きは公開されていなかったが、厠や風呂などがあり、生活をうかがえる造りとなっている。 |
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庭園も、水心秋月亭と名付けられ、建物の中からも、庭をめぐっても、美しい景色を見せている。
季節柄、枯れ落ちている枝が多いのだが、ここに写っている枝垂桜などは、見事な枝ぶりである。
ぜひ、桜の季節に見たいものだと思う。
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<<旧樋口家住宅>> 真田邸のすぐ脇に、松代藩真田家の家臣であった樋口家の住宅が、残されている。 この地に住居を構えたのは、江戸時代中期、樋口家六代樋口角兵衛という。 角兵衛の名で思い出すのは、「真田太平記」で重要な役割を担う樋口角兵衛であり、 史実と小説では異なるとはいえ、その系譜に連なる家らしい。 たまたま、内部で同好のサークルの催しが行われているようで、中に入るのを遠慮した。 広い庭にある池には、大きな鯉が泳いでいた。 |
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<<旧白井家表門>> 白井家は松代藩の中級武士。近年、この地に移築されたという。 門だけを見ると、先の樋口家住宅のそれよりかなり立派である。 何か家格とかで違いが出るものではないのだろうか。 |
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<<松代城跡>> 付近を一周して最後に松代城跡に至る。 手前が太鼓門と前橋。後方は南の櫓門。 |
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松代城はかつて海津城といった。石碑も海津城跡とある。 後方に見えるのが北の櫓門。 本丸の石垣内は、きれいに整備されている。天守台は残っているが(工事中だった)、天主自体はなかった模様。 川中島の合戦で、武田と上杉が取り合った城である。 上杉は、武田方の籠る海津城を脇に見て、そのそばの妻女山に陣を敷き、八幡原で武田軍と決戦を行うことになる。 |
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北不明門。 |