1972年7月31日−8月4日 初めての一人旅は、九州だった。 夜行で出発し、新幹線(東京⇒岡山、この時はまだ、岡山までしか開通していなかった)、特急(岡山⇒博多)を乗り継ぎ、 翌日の夕方にようやく博多に到着した。九州の西半分(長崎・熊本・鹿児島)への観光が目的であった。 博多では、駅構内で100円カレーを食べた。すべてカウンターで、席に座り、100円玉をテーブルにのせると、 引換に、すぐにカレーが出てくるシステムで、メニューは他になかった。初めての経験はよく覚えているものである。 |
![]() <<長崎原爆慰霊碑>> |
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<<阿蘇>> 阿蘇中岳火口。 この時は、火口のすぐそばまで、近づくことができた。 絶え間ない地鳴りが体全体をゆすり、まさに、地球を感じさせる空間だった。 |
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火口の周りには、厚いコンクリート製の退避壕用の建物(戦争映画によく出てくるトーチカのような感じ?)が 多数あり、いざというときには、ここに避難するように指示されている。 いざという時とは、火山が噴火した時のことを言うのだろうが、その時にこんな建物で大丈夫なのだろうかと、 変なことを考えてしまった。 |
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中岳の火口。 |
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<<熊本:水前寺公園>> |
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<<熊本:熊本城>> このアングルの熊本城は、最高にかっこいい。 |
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<<鹿児島:桜島>> |
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<<鹿児島:桜島港>> |
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<<鹿児島:林芙美子文学碑>> 桜島を見上げる丘にある林芙美子の文学碑。 花のいのちは みじかくて 苦しきことのみ 多かりき |
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<<鹿児島:有村溶岩展望所>> 鹿児島から桜島に渡り、島を一周するバスに乗った。阿蘇と同じく、この山も、活動中の火山である。 しかし、火口に近づけないため、火山を身近に感じるところまでいかなかった。 |
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<<鹿児島:城山>> 城山からみる桜島。 鹿児島に来るたびに、必ずこの写真を撮ってしまう。 しかも、このアングルでしか取れないという、おかしな話。 |
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<<天草>> 天草五橋。手前の橋が5号橋(松島橋)。以下、奥の方に向かって、4号橋から1号橋までが続く。 こちらは、船に乗って下から見学。 |
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<<雲仙地獄>> |
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<<長崎:原爆慰霊碑>> 近くに、「長崎の鐘」で有名な永井博士の戦後の居宅を記念館にした、如己堂(にょこどう)がある。 何気なく入った如己堂で、原爆の悲惨な爪痕を知ることになる。 見たくはないけど、見なくてはいけないものが、ここにあると知った。 |
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<<長崎:爆心地の標>> 右端に、浦上天主堂被爆遺構が立っている。 |
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<<長崎:浦上天主堂>> 原爆の被災聖人像が手前にある。 今の像と違っているようだが、理由はよくわからない。 全体に、白が基調となっていて、明るい雰囲気であった。 |
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<<長崎:大浦天主堂>> |
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<<長崎:三浦環の像>> |
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<<長崎:長崎港>> |